2009年03月16日

HEMP FOR VICTORY

マリファナ青春旅行 麻枝光一的日常
http://taimadobrog.livedoor.biz/archives/51448606.html


HEMP FOR VICTORY (アメリカ農業省)
勝利のために大麻を栽培せよ!


1930年代、大麻撲滅映画「REEFER MADNESS」(ブログ3月9日参照)を制作して10年たつかたたないうちに、アメリカ政府は今度は逆に大麻栽培を奨励する映画を作らざるをえなくなった。タイトルは 「HEMP FOR VICTORY」で、直訳すると「勝利のための大麻」。大麻農場での栽培・収穫風景や、船の帆やロープなど主要製品を紹介し、大麻が西部開拓時代からどれほど活用されてきたかを強調し、今、日本との戦争に勝利するために大麻が必要になっていることを熱く農民に訴えかけている。そのいきさつはこうだ。


第二次大戦で、日本軍がフィリピンを占領した。そのため、アメリカはそれまでロープ用に輸入していたマニラ麻が入手できなくなった。また日本軍がインド航路を押さえたため、アメリカはインドのジュート麻や大麻繊維のロープの入手が困難になった。

ロープは軍需物資である。船にしても車にしても、引っ張るものはすべてロープだ。ロープがないと戦争に勝てないといっても、決しておおげさではない。

アメリカ政府は、国内で大麻を栽培する必要性に迫られた。その10年ほど前、「大麻は恐ろしい麻薬で、女をセックス狂いにし、窓から飛び降りるなどの異常行動を起こさせる」と言っていたことなどすっかり忘れてしまったかのように、戦争勝利のために大麻栽培を奨励し始めたのだ。

戦争中とはいえ、FOR VICTORY (勝利のために)というのは語調が強く、大麻がどれほど重要視されていたかが伺える。
(いわば日本がアメリカの大麻政策を変えたといえる。)

実際、アメリカでは、独立後、大麻栽培が強く推奨され、ワシントン大統領の時代には大麻を栽培しない農家に罰金が科せられたという。
大麻繊維は幌馬車の幌になり、リーバイスのジーパンになった。
アメリカ国内で栽培された大麻から紙が作られ、食糧や油、さらに多くの医者に処方され利用されてきた。

また、国際展示会に設置されたハシシパーラーでは試飲も行われた。アルコールの害や暴力に悩まされた当事の婦人団体が、代用品として大麻樹脂ハシシを、と訴えたこともあるという。

戦争が終わるとアメリカは再び大麻撲滅運動を始める。
このようにアメリカにおいて

20世紀初頭まで 紙、燃料、繊維、医薬品などとして栽培奨励
1930年代   大麻大弾圧(映画REEFER MADNESS)
1930年代後半 大麻栽培奨励 (映画HEMP FOR VICTORY)
1945年ごろ  大麻大弾圧

この50年間で奨励と弾圧が繰り返されている。
これほど政治に翻弄される植物はケシを含め、ほかにないだろう(年代についてはおよそです)。
大麻は国際政治にも影響を及ぼし、日本ではアメリカ占領軍により大麻取締法が強制され、その後、アメリカの半植民地国家日本政府により、維持されている。


それ以前は、日本人と大麻の関係は非常にいいもので、問題が発生したことはないにもかかわらず。またアメリカ本国で大麻非犯罪化、合法化が急速にすすんでいるにもかかわらず。


明日は僕の自分の裁判の日だ。東京高裁初公判、といっても僕が訴えた裁判で、僕が検察役なんだけど。




麻枝さん相変わらずの濃いネタですニコニコ



沖縄県豊見城市瀬長島にあるレゲエショップ ♪ アイリーミュージックとハーブと雑貨の店ヤーマン(YAHMAN)。主な商品は、MIX CDやDVD、お香、雑貨などです。沖縄に旅行や観光で来た人も、地元の人も、瀬長島にあるレゲエショップ【ヤーマン】にどうぞ♪



同じカテゴリー(知識)の記事

Posted by ヤーマン at 15:25│Comments(0)知識
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。